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とどくとおもう Ⅱ

Full of Junk and Nothing

日本政府の失敗

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社会情緒的スキル

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ぷ~た資料2021-005:持続可能か?(Ⅰ)

今月1日にリリースされた論文。
see⇒

cf.――昨年3月1日にリリースされた論文👇
              PTA活性化のための提言

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石川三四郎と仏教

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VRの本質

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≪藤原伊織の青春≫



有限会社≪無限≫の奥田さんに読んでほしかったな。
奥田さんは「藤原とは駒場で同級生だった」とか言ってたしな。

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MAEDAKO

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主権者教育

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今日は真珠湾攻撃の記念日

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豁目爽心

釈迦への回帰≫(2015)
視界が開けて心が爽やかになる、という意味らしい。
読みは「かつもくそうしん」か。

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静かに静かに血沸き肉躍る論文

感覚は大切なのだという,いわば当たり前のこと≫(1974)

三井の力作ユー・アー・マイ・サンシャイン物語≫(1989,筑摩書房)は名著中の名著。
読んでいるうちに読み終わりたくない気持ちに駆られる。読み終わるとすぐに再読してしまう。

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東大文学部闘争/東大全共闘

昨年3月にリリースされた論文の要旨。
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[論文要旨]
東大紛争大詰めの1968 年12月23 日,加藤一郎総長代行が全学共闘会議に最後の話し合いを申入れ,懸案の文学部処分の「白紙還元」を提案したのに,全共闘は話し合いを拒否したという説がある。
事実ではないが,その当否を検討するためにも,文学部の学生がなぜ処分されたのか,その「白紙撤回」を全共闘はなぜ要求しつづけたのか,1969 年1 月18,19日の機動隊導入による安田講堂の攻防は避けられなかったか,1969 年12月まで文学部だけ紛争が長引いたのはなぜかを考察する。
東大紛争における文学部処分とは,1967 年10月4日の文学部協議会の閉会後,文学部学生仲野雅(ただし)が築島裕(ひろし)助教授と揉みあいになり,ネクタイをつかんで暴言を吐いたとして無期停学処分を受けたことである。
当時の山本達郎文学部長は,12月19日の評議会で,仲野の行為を複数教官に対する「学生にあるまじき暴言」として誇大に説明して処分を決定し,一か月後に事実を修正したが伏せた。
1968 年11月就任の林健太郎文学部長は,同月上旬の軟禁時以外は,仲野と築島の行為の事実を議論せず,教師への「非礼な行為」という説明を維持した。
1969 年8月就任の堀米庸三文学部長は,9月5日,仲野処分を消去するとしたが,処分は適法だったと主張しつづけ,築島の先手の暴力という事実を指摘されても軽視した。
この文学部処分は,不在学生が処分された点で事実誤認が明らかになった医学部処分とともに東大紛争の二大争点であり,後者が1968 年11月に取消されたのちは,最大の争点だった。
加藤執行部は,12月23日,文学部処分について「処分制度の変更の上に立って再検討する用意がある」と共闘会議に申入れたが,林文学部長らが承認する見込みはなかったし,共闘会議から拒否された。
「白紙還元」の提案と言えるものではなかった。
【キーワード】東大紛争,文学部(学生)処分,白紙撤回,白紙還元,行為の事実
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see⇒東大紛争大詰めの文学部処分問題と白紙還元説

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PTAの経済学

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COVID-19:Thinking about “Thinking about COVID-19”

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出現からたった3 ヶ月でその小さなウイルスは地球上の人間の価値観と行動を変えようとしている.
自分たちを守るために科学者や政治家といった「専門家」のみならず,ごく普通の人まで考えなければならないこととなった.
では,どんな情報が必要か?
どういった課題や論点があるのか?
科学技術コミュニケーションの実例として『新型コロナウイルスを考える』という,ごく一般向けの記事をどう作るかを通して,これらについて考えてみたい.
この時,SARS について振り返るのも有益だろう.
筆者は,科学コミュニケーターが記事を書くだけではなく,問題とその扱いをメタ的にとらえることで,現実がもたらす問題の把握と想定のやりかた,さらに科学技術コミュニケーションのあり方についてさらに広く考えようという人の参考になれば,と考えている.
ご批判,ご批評を歓迎したい.
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see⇒「新型コロナウイルスを考える」を考える≫(202004)

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COVID-19:政府・専門家会議が検査を増やせなかった「理由」

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疑義

面白そうな論文があったのでDLした。
see⇒

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日本の反ユダヤ主義

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南京大虐殺の否定・矮小化の言説には、日本における反ユダヤ主義の否定ないし矮小化の言説が重なっていることに注意しなければならない。
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see⇒「大日本帝国」下の反ユダヤ主義とユダヤ人難民≫(2002)

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UVの2005version

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2元性

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Robot学(16)

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リチウムイオン電池/ノーベル化学賞

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ヘンテコリンさ対応能力

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青梅エリアの「婦人組織」

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封建的な家父長制家族制度が支配的な「家」から女性達を開放し,啓蒙し学習主体とすることは民主化の要素であった。
そしてそれは婦人団体よりPTAによってなされることが期待されていた。
戦後いち早く婦人協力会などが大日本婦人会役員を中心にできたが,GHQの意向を受けて2ヶ月ほどで解散し,「婦人団体の育て方」等の審議内容も廃案となったことや社会学級の設置でもそれは明らかである。
しかし,その方針も徹底はせず,事実,地方の軍政部等では占領政策の徹底は網羅性のある団体に呼びかけていた。
占領期の女性施策はこの2つの流れがあった。
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see⇒昭和30年代の婦人学級にみる女性の学習-西多摩(青梅,福生)を事例として-≫(2003)

cf.――web検索with【青梅 婦人会

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PTAのあり方にギモナハ

「ギモナハ」=「疑問を持つ悩める母親」

以下は岩竹論文(参照)から記憶に基づく引用2つ。

記憶に基づく引用その1。
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入会申込書には、加入するとしないの選択肢があった。
私は「加入しない」に○をつけた加入申込書を出した。
1週間ほどたった夜、副会長と名乗る女性から電話があり、冷ややかな口調で
「全校で加入しないとなど言っているのはお宅だけ」で、
「加入しないのなら、お子さんはPTA主催の催しに参加できない」
と告げられた。
参加できないというのは参加させないということであり、
参加させないというのはのけものにするということである。
それは、いじめの手法の一つであり、脅しでもある。
「いじめ根絶に向け、各会員に趣旨の徹底をはかる」ことは日本PTA全国協議会の基本方針の一つであるが、根絶しなければならないいじめの手法を使って、加入に圧力をかけているのである。
参加できないというPTA主催の催しとは具体的にどういうものなのか知らなかったが、よどみもためらいもなく有無は言わせないという口調は、余計な質問をしたり、逆らったりしないほうが身のためだという無言のメッセージを発していた。
それは、漠然とした恐れをひきおこす手法である。
日本では、皆と同じにしていた方がいいんだ、何か嫌な思いをするかもしれないから。
子どもがいじめられるかもしれないし。
加入に関しては、選択肢があるかのような申込書を用意しながら、実際には選択はできない。
また、入会しないと言っているのは親であるにもかかわらず、不利益は子どもに与えられる。
いわば親の「身勝手」によって、子どもが困らされるという連帯責任的手法をとる。
学校に「子どもを人質に取られている」という発言は、その後何度か聞いたが、これもそのケースであるだろう。
私は、結果的に加入した。
PTAは何かただならぬ組織であり、「フィールド」になると思ったからである。
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【フィールド】とは「研究対象領域」みたいな意味だろう。

記憶に基づく引用その2。
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副会長からの電話の内容について、クラス委員を含む同じクラスの複数の母親に話したところ、彼女はそういう人ではない、立場上そういう言い方をせざるを得なかったのだろうと理解を示し、むしろ同情の気持ちを持っていた。
また、後になって聞いた話では、その副会長は態度が甘いとして硬派の役員から過去につるしあげを受け、精神性の下痢が止まらなくなった経緯があったという。
つまり、抑圧されている側が、抑圧する側にまわるという構造がある。
私は2002年春以降、クラスの母親を中心に何回かPTAについて、学校の外で話し合いの機会を持った。
その流れで、その元副会長と2003年になって直接会う機会があった。
会ってみるとその人は、意外なことに私の考えに理解を示し、PTAのあり方に疑問を持つ悩める母親の一人なのだった。
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二元性一原論に基づく応用仏教の実証研究

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「登校」の類義語

科学研究費助成事業研究成果報告書。
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背景には江戸時代の藩校の存在も考えられ、
地域性を形作った。
例えば「登校」については、
熊本時習館には「参校・赴校・赴館」の用語がみられ、
明治期には「登校・上校・参校・昇校・出校」などの語が、
全国の種々の教育史資料から得られる。
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see⇒PDFファイル↓
研究課題名≪学校方言の成立と展開に関する基礎的研究―学校建築用語を軸に―≫(2014)

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この世の二重のリアリティー

〈もの〉について:日本語で考える≫(2013)

抄録。
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主著『存在と意味』第一巻(1982年)において、当時の日本の指導的な哲学者であった廣松渉は、物的世界像から事的世界観への転回を宣言し、関係の第一次性を主張した。
彼の師であった山本信は、西洋近代哲学史を吟味し直したうえで、あえて実体概念を復権させ、さらに各自の身体こそ最も基本的な実体であると規定した。
両哲学者の没した今でも、彼らの思考の痕跡は、彼らの本を読むことを通して、われわれに接近可能である。
書物のような存在者は、恒常的に現前し続けることができるのである。
このことは、物は世界の諸元素を取り集める、とするハイデガーの説を思い起こさせる。
少なくとも、物と事とは等根源的であって、この世の二重のリアリティーを形づくる、と言えよう。
日本語の物と事の区別は、アーレントが活動的生を仕事と活動に分節化したことに対応するのである。
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閃き検索(1364)

PTA親会員の不満とその要因構造に関する研究

論文に挙げられた参考文献リストを中心に5分ほど目を通した。
東京大学の本流の教育行政学者が書いた「PTA系論文/著書」の読み込みが足りないままリリースすることにした論文かもしれないと思った。

論文のp.10に「社会教育法では、PTAは社会教育関係団体とされている。」という胡乱な1文がある。
社会教育法に用語【社会教育関係団体】は有るが用語【PTA】など無い。
また、論文のp.49の「約1000万人」と「約2400万人」を扱った論脈を読むと、算数/数学の「概数」の認識が欠けている。
一夫一婦制を考慮すればカップルの片方を捉えた概数とカップルの両方をを捉えた概数に過ぎないと理解できるのではなかろうか。

なお、今時の「PTA学者」ならば国会会議録のPTA関連発言を精査しないとダメだ。
ともあれ、眉唾で読めば面白く読めそうな論文だとは思う。

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創造性開発方法

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閃き検索(1354)

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