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とどくとおもう Ⅱ

Full of Junk and Nothing

奥の細道

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原発・放射能の実態と実像

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罰当りな話

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自分を人間と考えるより、野良犬じゃないかと、そういう心境で、
生き方も、野良犬的な生き方をしておりますので、
そういう者がこれから申し上げる罰当りな話ですから、
その積りでお聞取り願いとうございます。
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see⇒芸術として見た仏典≫(1994)

・・・和服姿の碩学の肉声が聞こえてくる至福の講演録。

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川越市の人権問題講演会

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川越市では、
差別や偏見のない心の通い合う明るい社会を実現するため、
あらゆる人権問題への正しい理解と認識を深めるとともに、人権意識の高揚を図ることを目的として講演会を開催しています。
このコーナーは、
講演会に参加することができなかった市民の皆さまに、講演会の内容をお知らせしようとするものです。
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see⇒川越市役所サイト:人権問題講演録

cf.――川越市AJストーリー(03)

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ぷ~た資料2018-001:わたくしとPTA

1978年1月17日(火)午前10時から行われた宮城県PTA連合会主催の≪第2回宮城県PTA母親リーダーセミナー≫で中冨文子が講演した。この時彼女は六十歳台半ばである。
その様子を<宮城県PTA新聞>第22号が第1面の記事とコラムで報じた。

記事はこう。
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講演は「わたくしとPTA」。元日P会長として、また豊富な海外家庭での、諸体験をふまえて母親リーダーのあり方を語った。(要旨別掲)
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以下、コラムの全文。(レイアウトと適宜改行byFJN)
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母親セミナー講演(要旨)
わたくしとPTA    元日P会長  中 冨 文 子
ふり返ってみると、PTA発足以来三十年という月日が流れた。
その間、激動する社会情勢の中で、教育環境が恐しく変って来た。
大自然は破壊され、人間疎外の今日の様相である。
非行や自殺者が多くなり、今日ほど人作りが叫ばれている時はなく、また今ほどPTAの存在価値が、大きく認められている時期はない。
教育の中でも、もっとも基本になるのは、家庭教育であると思う。
数回外国に参って、一番感じさせられたのは、そのことである。
アメリカでは、子どもに嘘と不正直を徹底的に追求〔ママ〕している処に出会い、ドイツでは約束を守らなかった、ということで体罰を加えている処を見た。
また、イギリスでは生れてすぐ、「プリーズ、サンキュー」という二つのことを自然の中で教える。
日本では生れてすぐ「ああ笑える、ニギニギができる」等ということで、どうもこれは気まぐれの教育ではないかと思う。
韓国に行って驚いたのは、これまでちらばっていた道路が、とてもきれいになっていたことだ。
これは規則があるということだが、公徳心が培われている。
家庭教育というものは、両親の態度から子どもが真似をしていくことなので、考え直さなければならないと思う。
また教育は生れてからでは遅くて、胎教というのも家庭教育では大事になって来ると思う。
日P会長になったのは昭和四十七年でこの年に始めて母親部会を設けた。
四十八年には二十五周年記念式典を行い、文部大臣の個人表彰をいただけるようにした。
母親会長だったから、「お母さん、がんばって下さいよ」という意味も含まれていたと思うが、子どものしあわせを願う、わたしたち母親は心身共に、健康で意欲的に自分に課せられた道を前進して行きたいものである。
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see⇒<宮城県PTA新聞>#22(1978/昭和53年2月18日)【pdfファイル】

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哲学とは補助線みたいなもの

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ぷ~た資料1112-06:持田に学ぶ(6)

ぷ~た資料1112-01:持田に学ぶ(1)で触れた講演録に持田の異名が「ダンプカー」と紹介されている。
以下、紹介文の転写貼付(適宜改行&オレンジ化etc.byFJN)。
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持田栄一先生について
持田先生は国民教育運動の理論的指導者として、早くから、その名を知られておりました。
先生の名著「教育管理」(1961〈昭和36〉年 国土社)は教育行政、教育管理さらには学校現場及び教育の仕事に携わる人たちの様々な問題を考える場合に、欠くことの出来ない必読の研究書であります。
先生は研究室に閉じこもる研究者ではなく、学校現場で働く人たちの問題に深い関心をもたれ、特に事務職員の問題については、その感が深く、1960(昭和35)年には日教組事務職員部の全国学校事務研究集会の開催に尽力され、以来その講師として、さらには、日教組教育研究全国集会の教育行財政分科会の講師として現在に至っております。
1961(昭和36)年には教育行財政の研究者及び学校現場の事務職員の同志と共に「子どもに質の高い教育を保障するための教育行財政の研究を目的」として、教育行財政研究会を組織し、その中心的存在として、わが国の教育界にかつて見られなかったユニークな活動を展開し、1963(昭和38)年には機関誌「現代の学校」を発刊いたしました。
先生は1962(昭和37)年の第12回北海道公立小中学校事務研究大会・函館大会に講師として初めて来道され、「現代社会における学校と学校事務学校事務研究の将来を指向するもの」と題して講演されましたが、この講演は、現在に続く北海道における小中学校事務職員の学校事務研究の基盤をなしているのであります。
翌1963(昭和38)年8月の策2回全国教育財政研究集会(慶応大学)には本道の代表4名が参加して、2日間にわたって先生の指導をうけましたが、これが機縁となり、その年の秋、北海道教育行財政研究巡回集会が計画され、先生は、10月28日から31日まで札幌・滝川・旭川・北見を巡回し指導され、参加者の胸に深い感銘を刻みつけたのであります。
丁度この時、11月2日から釧路で第13次北教組教育研究全道集会が開催されることになっておりましたが、基調講演者の大槻健先生(東京大学)が交通事故で来道できなくなったので、急きょ先生がピンチヒッターとして基調講演をされました。
「現代教育の諸問題」と題し、学校現場の身近な問題をとりあげ、明解な論旨、迫力ある話しぶりは、参加者を魅了してしまいました。
以来、12年ぶりの先生の御来道です。
この間、1965(昭和40)年4月から1年間西ドイツに留学されましたが、今日ある北海道の小中学校事務職員の学校事務研究、さらには、全国小中学校事務職員の学校事務研究を語るとき、先生を抜きにしては語れない…持田先生は、そういう存在の研究者。
ダンプカーのニックネームをもち、酒を愛し、人を愛し、談論風発、柔道で鍛えた体で東奔西走する。
「現場を歩いている者と、書斎で本の虫になっている者と、どちらが学問として強いか。その勝負の場は学会だ…」という主張のもとに、安宿で用務員のオジサンや事務職員と、酒をくみかわしながら、日本の政治や教育について語り合う、学校現場で働く人たちの喜びと悲しみを、身をもって理解している教少ない研究者の一人であります。

なお、先生は1925(大正14)年生、東京帝国大学文学部教育学科卒、専攻は教育学・教育行政学です。
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ぷ~た資料1112-01:持田に学ぶ(1)

持田栄一(1925-78)の講演録が北海道公立小中学校事務職員協議会のサイトで読める。
  ≪教育としての学校事務を問いかえす≫(1975)
  cf.――http://www.gakkoujimu.jp/arch05.htm
この講演録はCiNiiのサイトには無い(参照)。

以下、上掲の講演録から抜粋(転写貼付&適宜改行etc.byFJN)。

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閃き検索(820)――日本のptaを世界文化遺産に!

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原発が安い?!

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いまだに「原発は安い」などと考えているのは日本だけです。
今、日本の原発メーカーは、
安全基準の低い途上国には原発を1基5000億円で売り込み、
安全基準の高いヨーロッパに持っていく場合は、
1兆円で売り込んでいます。
高い安全基準を達成するためには、倍のコストがかかるのです。
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see⇒http://gendai.ismedia.jp/articles/-/37181?page=4

cf.――http://www.kaetsu.ac.jp/13-10-17-1.html

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関係豊富化的観点最優先型の発想

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効果的な英語教育

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三好達治の号泣

一部抜粋(適宜改行etc.byFJN)。
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私は今でも忘れることができないことがあります。それは

三好達治という詩人がいらっしゃいましたが、
その詩人の話を聞きたいというのが学生の大きな希望だったのです。
前々年に『春の岬』という詩集をお出しになったのですが、
それに目を通している学生が多かったもので、
その先生の講義が聞きたいということになりまして、
お呼びに行く役も私が命じられ福井の田舎まで行きました。

三好先生の場合は
他の大学の先生と違って高座に立って授業をやった経験をお持ちではないものですから、
非常に真面目な格好で演壇に立たれて、
都合五回『春の岬』の詩集の第一節から始まってすべての詩を、
  「なぜ私はこの詩をつくったか、最初できた格好はこうだったが、
   こういう言葉遣いだったが、改めたらこうなった」
ということを丁寧に話してくださった。
学生も非常に熱意を持って聞いておりました。

最後の授業が終わりました時に
  「これで私の授業を終わります」
とおっしゃって演壇の上に立って泣き崩れてしまわれ、
最後は演壇にうずくまってしまわれ号泣しておられるのです。
泣き声の合間合間に叫んでおられる言葉は嫌でも学生の耳に入りました。
  「若い君たちを死なして、オレが詩をつくれるか」
そうおっしゃって演壇にうずくまって泣き崩れてしまわれたのです。
私は、お呼びする役だったので、何とか先生をなだめて教員室にお連れしました。

この記憶は心に焼き付いてどうしても忘れられないでいます。
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see⇒《生かそう憲法・広げよう九条・とめよう戦争》(2010)

・・・講演録に誤植が多々あれど完好講演!(涙笑)!

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ぷ~た資料909-03:杉村房彦に学ぶ(3)

2004年の講演録は、こう始まる。
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50周年記念講演会をという御連絡と共に送って頂いた30周年記念誌に、
大田堯先生の講演が載っていました。
20年を経て大田先生の弟子の私、光栄なことと嬉しく思いました。
もう少し私が若くて生きのいいときに皆さんにお会いして、
はっぱをかけることができたらよかったと思います。
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そう、杉村は大田の弟子の一人だ。

cf.――映画《かすかな光へ》公式サイト

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幽霊と想い

《日本人のこころ―山伏の立場から―》(1996)
 http://lecrec.nipponkouen.com/freedl/?p=1428

*****抜粋********************************
お前が知らんことは幽霊に答えられるはずがなかろう。
お前の心の中の恋しいという想いが、幽霊を呼び寄せていたんじゃないかな
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【善意のでっち上げ】と【ユーモア】

松山の講演(2010年6月)録より(適宜改行byFJN)。
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ユーモアは人柄、教養、余裕といったものが出る笑いです。
チャーチル英首相の80歳の誕生日にインタビューした若い記者が、辞去する際
  「来年の誕生日にもお元気なご様子でお会いできることを期待します」
と言ったら
  「ああ、大丈夫と思うよ。お見かけしたところ、君は元気そうじゃないか」(笑)
私は昭和天皇の訪米の際、全行程をついてまわったのですが、
ニューヨークでロックフェラー・チェーズ・マンハッタン銀行頭取が
  「陛下、私の銀行の支店が皇居の前にありますので、どうぞご利用下さい」
と言ったところ
  「預金ですか?貸し出しですか?」
とユーモラスな答えをされた、との記事が、アメリカの新聞に出ました。
私には陛下がそんな発言をされたとは考えられないのですが、
アメリカのスポークスマンはよくそういう「善意のでっち上げ」をしますからね。
「お陰で天皇のイメージがぐんとよくなった」と米人記者が笑っていました。
社会全体がユーモアが好きで、ユーモアのある発言を待っているのですね。
NYメッツが優勝したとき、ラジオの天気予報が
  「本日、NY地方は全般に快晴。ただしところにより紙吹雪」(笑)
とやったことがあります。
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see⇒http://www.yuki-enishi.com/lounge/lounge-03.html

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ぷ~た資料909-01:杉村房彦に学ぶ(1)

今年2月に急逝した杉村が、8年前、2004(平成16)年10月23日(土)に行なった講演で次のように述べた。私は生で聞きたかったと思う。彼に直に問いかけ学びたいことが山ほどあったと痛感している。
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戦後PTAがスタートしてしばらくの間は単位PTA、P連、文部省自身も
 「教員養成課程の正規の講義の中に『親の参加』とか『PTA』というものを組み立てよ」
と強く要求していました。
ところがそれがずっとなおざりにされてきています。
それに、教育学を教えている先生で親の参加とかPTAについてしゃべることが出来る人はほとんどいません。
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(出典は、この連載エントリのどこかで明記する予定)

cf.彼の急逝を悼むウェブ記事――

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ぷ~た資料908:PTAが学校とグルになって

芥川也寸志が講演《音楽交際術》(1970)で次のように言っている(適宜改行byFJN)。
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この頃はフォークソングが若い方たちの間ではやって、
東京・新宿でのそうした集いが問題だというので、
警察が弾圧したりしました。
その少し前にはロックンロールがはやって、
あの時はPTAが学校とぐるになって、
ロックンロールを聞いたり歌ったりしている純真な生徒たちを叱ったことがありました。
エレキブームの時も、警察が不良化防止という名目のもとに弾圧しました。
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・・・当時の「ぐるになって」と昨今の「連携して」は同じ意味だと思う(微笑)。

なお上掲した文はp.21で読めるのだが、私は、その前のペイジ(p.20)で芥川が紹介する娘との会話が愉快だった。
当時、東京都のゴミ収集トラックは音楽を鳴らしていたらしい。
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私の娘が
 「お父さんあの曲なにか知ってる?」
と聞くものですから、音楽家の親父をばかにするなと思いながら
 「白鳥の湖というんだ」
と答えたところ
 「じゃ何調だか知ってる?」
といいます。
ますます腹を立てながら
 「あれはイ短調だ」
と答えたところ娘はニャッと笑って
 「あれは都庁の清掃局よ」
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・・・【都庁】が【ト調】の駄洒落で【清掃局】が【清掃曲】の駄洒落だよね(笑)。

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ぷ~た資料904:1974年ごろのPTA

毎日新聞記者(当時)藤田恭平の講演録、
  《これからのPTAを考える》(1974)
から、以下、2か所を抜粋する。

●p.23上段-下段。
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 だから、PTAの勤労奉仕なんてのは、危険なことは絶対にやっちゃいけません。
 よく、PTAの母親が、通学路の交叉点に立って、旗をもって緑のおばさんみたいなことをやっていますが、あんなことは絶対にやっちゃいかん。もしも自分が立っている目前で、よその子供が車にひかれたら、だれが責任を取るんですか。たまたま当番で立っていた母親は、まちがいなくノイローゼになりますよ。
 そういう危険なところがあれば、PTAが警察に行って<あそこは危いから、何時から何時まで、おまわりさんを立てて下さい>と要求すればいいんです。
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●p.25下段-p.26上段。
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 このごろは、PTAの集まりでやる学校長のあいさつが変わってきております。以前、学校長はこのように言っておりました。
「お母さん方は、お子さんの勉強のことで、疑問があったり、ご意見があったりすれば、どうぞご遠慮なく、私のところにでも、担任のところにでも来てください」
 だが、最近は、そうは言いません。
「本校の教育方針はこうこうです。ご父兄の皆さん方は、全面的に協力して下さい」
 こう言います。以前とは、まるっきり変わっているんです。
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世界思想史と禅思想

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小説家の思考

《小説の言葉》(2008)
 http://doors.doshisha.ac.jp/webopac/ctlsrh.do?bibid=TB10258893&displaylang=en

*****◆抜 粋◆**********************************************
あるフランスの現代の哲学者がこんなことを言ったそうです。
「日本人は、漢字に仮名をルビで振っているが、
 実は本質的には仮名に漢字のルビを振りながら読むという営みをしている」
と。
たとえば全部仮名の文章を人から手渡されたとしますね。
そうすると、漢字にすべきところは漢字に書き換えて読むでしょう、
一種のルビを振っているようなものです。
表意文字、漢字は一字のうちに総合的な意味を含んでいます。
それを仮名に読みとる、訓に読みとる。
実は我々はおのずとその意味の分析をしてるんです。
翻訳行為ですね。
あたかもパソコンで同音の漢字が並んでいて、その中から一つを選ぶ如く、
いろんな意味が総合されている文字から意味を分析して取りだす。
この翻訳行為を日頃、脳のどこかで絶えず繰り返しやっている。
しかしさっき言ったフランスの哲学者はさらに
「だから日本人は神経症というものを知らない」
という。
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愛を知ること

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試験範囲を気にする大学生

《一般教育の活性化について》(1989)
 http://ci.nii.ac.jp/naid/110004672102
この講演録の21/29で、
   試験の範囲気にする学生増えてますね,この頃。
という語りの後、以下のような問答が読める。
***********************************
学生:試験の範囲どこですか?
教員:そんなこと知るか。俺がやったところや。
学生:それはどこですか?
教員:本人が覚えとるわけないやないか。
***********************************

大学教員らしい応答だ。私は大学の英語の講義で、教員と学生(どちらも氏名を失念した)によるこういう問答を聞いた記憶がある。
  学生:講義は今日で終わって来週テストですが、テスト範囲はどこまでですか?
  教員:テキストのp.51以後です。
私は『大学って愉快だな』と思った。テキストをちょうどp.50まで終えたのがその日の講義だった。

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人のこころがわかる人

《からだの見方》(1997)
 http://ci.nii.ac.jp/naid/110008691713

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小さなズレの多さ

《韓国人から見た日本人》(2007)
 http://www.relnet.co.jp/kokusyu/brief/kkouen27.htm

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早朝が勝負

《昆虫の行動研究と応動昆》(2006)
 http://ci.nii.ac.jp/naid/110004731975

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吉野作造とフリーメイソン

《石工組合「フリー・メーゾンリー」(Freemasonry)の話》(1921)
 http://ci.nii.ac.jp/naid/110003787278

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学校と地域社会と生涯学習

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放射線と健康

《放射線と私たちの健康》(2011.3.22)
 http://www.town.kawamata.lg.jp/sokuhou/?p=274
《放射線の健康影響》(2011.6.12)
 http://www.town.kawamata.lg.jp/sokuhou/?p=1081

cf.――http://www.town.kawamata.lg.jp/sokuhou/?category_name=12

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江戸時代のシアワセ

《江戸時代にみる仕合わせの基準》(2006)
 http://ci.nii.ac.jp/naid/110006687585

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