1978年1月17日(火)午前10時から行われた宮城県PTA連合会主催の≪第2回宮城県PTA母親リーダーセミナー≫で中冨文子が講演した。この時彼女は六十歳台半ばである。
その様子を<宮城県PTA新聞>第22号が第1面の記事とコラムで報じた。
記事はこう。
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講演は「わたくしとPTA」。元日P会長として、また豊富な海外家庭での、諸体験をふまえて母親リーダーのあり方を語った。(要旨別掲)
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以下、コラムの全文。(レイアウトと適宜改行byFJN)
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母親セミナー講演(要旨)わたくしとPTA 元日P会長 中 冨 文 子ふり返ってみると、PTA発足以来三十年という月日が流れた。
その間、激動する社会情勢の中で、教育環境が恐しく変って来た。
大自然は破壊され、人間疎外の今日の様相である。
非行や自殺者が多くなり、今日ほど人作りが叫ばれている時はなく、また今ほどPTAの存在価値が、大きく認められている時期はない。
教育の中でも、もっとも基本になるのは、家庭教育であると思う。
数回外国に参って、一番感じさせられたのは、そのことである。
アメリカでは、子どもに嘘と不正直を徹底的に追求〔ママ〕している処に出会い、ドイツでは約束を守らなかった、ということで体罰を加えている処を見た。
また、イギリスでは生れてすぐ、「プリーズ、サンキュー」という二つのことを自然の中で教える。
日本では生れてすぐ「ああ笑える、ニギニギができる」等ということで、どうもこれは気まぐれの教育ではないかと思う。
韓国に行って驚いたのは、これまでちらばっていた道路が、とてもきれいになっていたことだ。
これは規則があるということだが、公徳心が培われている。
家庭教育というものは、両親の態度から子どもが真似をしていくことなので、考え直さなければならないと思う。
また教育は生れてからでは遅くて、胎教というのも家庭教育では大事になって来ると思う。
日P会長になったのは昭和四十七年でこの年に始めて母親部会を設けた。
四十八年には二十五周年記念式典を行い、文部大臣の個人表彰をいただけるようにした。
母親会長だったから、「お母さん、がんばって下さいよ」という意味も含まれていたと思うが、子どものしあわせを願う、わたしたち母親は心身共に、健康で意欲的に自分に課せられた道を前進して行きたいものである。
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<宮城県PTA新聞>#22(1978/昭和53年2月18日)【pdfファイル】