
昨日、
【東大卒無職男がネットで文科省官僚殺害予告をして脅迫の容疑で逮捕され、「教科書の内容と違う現実があることを知って文科省に騙されたと感じた」と動機を述べた〔――との警察系発表があった〕】
という電網ニュース↓を読んだ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081129/crm0811291717024-n1.htm
同じく昨日の朝日新聞夕刊10面で長谷川宏の随想記事、
《日常を哲学する試み ― 全共闘運動から40年―》
を読んだ。その最終段落はこう。
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全共闘運動の渦中では「自己否定」という言葉がしきりに飛び交った。当時はやや倫理的にすぎる観念語に思えたが、あれから四十年、かつての闘いといまとのつながりを考えると、日常生活に近づこうとする哲学的な歩みを自己否定の名で呼んでいいかもしれないと思う。
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【東大卒無職男がネットで文科省官僚殺害予告をして脅迫の容疑で逮捕され、「教科書の内容と違う現実があることを知って文科省に騙されたと感じた」と動機を述べた〔――との警察系発表があった〕】
という電網ニュース↓を読んだ。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081129/crm0811291717024-n1.htm
同じく昨日の朝日新聞夕刊10面で長谷川宏の随想記事、
《日常を哲学する試み ― 全共闘運動から40年―》
を読んだ。その最終段落はこう。
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全共闘運動の渦中では「自己否定」という言葉がしきりに飛び交った。当時はやや倫理的にすぎる観念語に思えたが、あれから四十年、かつての闘いといまとのつながりを考えると、日常生活に近づこうとする哲学的な歩みを自己否定の名で呼んでいいかもしれないと思う。
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