現代家庭教育新書58≪
教育における親の復権≫(1973)―
参照―のp.106に以下の文章が引用されている(適宜改行byFJN)。
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PTAの存在そのものを根底から考えなおそう。
問題はいつもその第一歩にある。
その創設の趣旨を鵜のみにするのはよそう。
網羅的な入会の根拠とそれにながされて入会した自分の心情をみつめよう。
自分自身のほんとうの要求はなにかをしっかり握ることからPTAを見直そう。
PTAのなかにある神話をしっかりと識別してはじめて何かがスタートすると思う。
趣旨が気に入らなければ直す道はいくらもあるはずである。
それでも気に入らなければはじめから入会しなければよい。
だれに気がねすることもない。
当番制とかいう制度で、委員に選ばれることがあると聞くが、泣きの涙で引きうけたとか、また周囲からいろいろとかげ口をいわれ、身も細る思いをしたとか、PTA公害も数えあげればきりもないし、もっと痛ましい話も聞いている。
あるPTAでは学校のある立場の先生から何かをいわれ、それを思い悩んで自殺したという事例を聞いたことがある。
とにかくなんのためのPTAかと疑いたくなることがたびたびある。
PTAなんかなくしてしまったらどうだろう。
どうしても必要だというのなら、スタートからやり直してみたらどうだろう。
会に入った人みんなが会則をよみ、その趣旨に賛成し委員を何回か位ならやってもよいという最低の心構えで入って来たとは思われない。
お互いにもう一度どういうわけで入会したかを思いおこし、ぬけられるのなら脱会したらどうだろう。
自分のことは自分で考えてきめるという、よい意味での個人主義を確立することを声を大にしてすすめたい。
これもPTA公害解決の一助となるのではないだろうか。
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上掲した文章は≪持田栄一著作集4 学制改革論≫(1980)―
参照―のp.216でも読める。