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PTAは、本来は、教師と親が任意に加入して活動する団体のはずである。しかし実際は、親も教員も強制的に全員加入させられて、会費を払わされる。教員と親は対等の会員のはずなのだが、実態は(もちろん例外はあるだろうが)学校側が主催するPTAの行事に、親が協力するというかたちで活動が展開されている学校がほとんどだろう。そしてまた、ある意味で奇妙なことに、誰もそれを不思議と思わず、そういうものだと思っている。活動を主催する学校側だって、それらの活動の意味については、本気で考えるということをしていない。「PTAというものがあって、それらしい活動をしなければいけないものらしいから、とにかく形だけは整えておこう」といった程度の認識でやっている場合がほとんどである。
どこの学校でも、五月ごろにPTA総会というものが開かれる。学校の体育館にPTAの会員、つまり親と教師が集まって、予算などのPTAの一年間の活動にかかわる議事を審議するのである。親に案内を出して「なるだけ多くの出席を」と教員は呼びかけるのだが、毎年、出席率はたいへんに低い。ところが、その出席率の低さを嘆く同じ教員が、総会で議事に対して質問する親がいると、「なんだ、あの親は。議事に質問するなんて」と憤っているのである。教員は、親がその場にいることは望んでも、議事に参加することは望んでいないのである。学校にとってのPTA活動とは、「活発に活動している」という形式を整えればいい存在であり、むしろそれ以上にはなってほしくないくらいなのである。
こういう状況では、親のほうでもPTA活動に、学校への奉仕活動以上の意味を見いだすことはむずかしい。逃げ腰になるのは当然のことで、逃げる親をつかまえて、学校に協力させる、という割に合わない役目が、PTAの一会員にすぎないはずの担任にまわってくるというわけである。
PTAというものが、やり方によっては価値あるものになりうるとしても、実態はそれからはほど遠い。むしろ、親にとっても、学校にとってもやっかいな存在になっているようにさえ思える。そこには問題があることを、誰もが認めている。にもかかわらず、大きく変えることも、いっそなくすこともできずに、「とりあえず今年は……」で、毎年同じことを繰り返して、結局、何十年も変わらない。どうも、学校とはそんなところであるらしい。
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……うむ、学校はともあれ、確かに日本のPTAとは、単位組織も連合組織も【永遠の未成熟】を宿命として持ち、その宿命に甘んじ(≒居直り)続けているケッタイな代物だ。
なお、上掲抜粋を含む記事の初出は↓だと思われる(折を見て図書館でバックナンバーを探してみる予定)。http://www.nippyo.co.jp/maga_kokoro/hm109.htm
なおなお、【土曜日に全くふつうに午前中授業をやっている高校がいくつもあるのですが、これも、PTAあたりがお金を出してアルバイトという形式にしている】で電網検索(Yahoo!系)すると夏木教諭の携わるBBS(*1)に行ける。関連で痛快なHP(*2)もある。
*1:http://6114.teacup.com/hitujihituji/bbs/462
*2:http://homepage2.nifty.com/puzzlebox/


