
昨日、公立小学校で起きた転落死亡事故の責任を巡る質疑応答(議員との)の中で、行政担当者らが、故人を追悼する意味で「御冥福を祈る」という言葉遣いをしていた。
私は特定の宗派活動をしないパーソナルな仏教学徒ゆえ、違和感を持った。
私は特定の宗派活動をしないパーソナルな仏教学徒ゆえ、違和感を持った。
難点は「冥」の一字だ。
死後の世界を「冥」と限定しておいて「福」でまとめる無遠慮な強引さがツラい。そう限定することは俗習で常識にも含まれるといえようが、この種の常識、と、良識あるいは見識、とは峻別したくなる。
「祈冥福」ふう用語は特に親鸞仏教でタブーとされていて、例えば大谷大学(真宗大谷派系)のサイト↓には「死者に対する敬意を欠いた無神経な言葉では?」とある。
http://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/173.html
…まあ、‘無知に基づく善意系暴力’を気にしはじめると切りが無い(自嘲)。
むろん自戒の念は常に伴う。
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