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とどくとおもう Ⅱ

Full of Junk and Nothing

兵役と日本女性と家父長制etc.

1999年3月に発表された《英霊になる権利を女にも? ― ジェンダー平等の罠 ― 》という講演録/論文を読んで、私は特に次の文章に得心が行った。

――兵役は自分の生命を国家に差し出すことと解されているが、それは婉曲語法にすぎない。兵役の内実は、憎んでもいない他人を殺すように強制されることである。軍隊は殺人マシーンであり、兵士は殺人者として訓練される。「国のために死ねるか」と、しばしば自己犠牲のことばで美化されているが、これを間違ってはならない。「死ぬ権利」ではなく「殺す権利」、殺しても罪に問われない権利、これを国家から賦与される、もしくは強制されるのが兵役である。――

また、史的事実として銘記する気になったのは次の文章。

――ところで、戦時下において日本女性は、かつて「英霊になる権利を女にも」という要求をした過去があっただろうか。記録に残っているかぎりでは、1937年日中戦争勃発直後、大日本聯合婦人会の女子青年団が「女子義勇隊」の結成運動を開始し、女性のあいだから従軍志願者が続出したと報じられているが当局はこれを許可しないと発表している。――

もう一つ、呆気に取られ唸ったのは「家父長制」を定義した次の文。

――「女にとって、自分の胎から生まれた息子を、母が属するジェンダーを侮蔑すべく育てるシステム」――

…賢察、卓見。

この講演録/論文全体へのURLは本記事末に置く。
以下、各節の題とその冒頭1~4文を私的にメモ打ちする(上の抜粋は順にⅦ、Ⅴ、Ⅷより)。
Ⅰ.軍隊と女性をめぐる問題構成
◇軍隊と女性をめぐる問題は、これまで日本では手つかずの領域であったが、最近になって急速に、いくつかの研究成果が登場した。
Ⅱ.日本の条件
◇日本では、軍隊と女性との問題は特殊な問題だと考えられてきた。ところで、これは本当に特殊な問題なのだろうか。
Ⅲ.女性の国民化をめぐって
◇戦前に遡れば、軍隊と女性の問題は少しも特殊なものではなかった。歴史的には「女という二級市民をいかに国民化するか」という課題をめぐって、「女性の政治参加」の問題がフェミニズムの中で焦点となってきた。
Ⅳ.国民国家への包摂と排除
◇90年代以降の国民国家論は、最近になって新しい展開を見せている。
Ⅴ.総力戦とジェンダー
◇総力戦は戦闘員と非戦闘員との区別をなくす。かつ、総動員体制のもとではジェンダーを問わない動員が行われる。にもかかわらず、この総力戦体制下のもとで、ジェンダーの差は、英霊になる権利を持つ者と持たない者の差として、あらわになる。
Ⅵ.兵役と市民特権
◇もう一度、先ほどの問いに戻ろう。女性の兵役からの除外は、差別だろうか、それとも特権だろうか。兵役からの除外が差別になるのは、兵役とあらゆる市民的な特権、一級市民権が結びついている場合である。
Ⅶ.国家と暴力
◇兵役からの女性の除外が、女性に対する差別なのか特権なのかを考えるには、以上のように国民国家と市民権との関係を考えてみる必要がある。公民権とか市民権とか呼ばれるものは、統治共同体に参加することによって初めて得られる権利である。
Ⅷ.暴力と平和
◇ここで「平和」の語源学的な考察をしてみたい。平和を意味するpeaceという言葉の動詞形にpacifyという英語があるが、その辞書的な定義は「複数の勢力間の武力紛争を、より上位の暴力によって鎮圧もしくは平定すること」となっている。
Ⅸ.結論
◇最後に次の二点を指摘して、結論に代えたい。第一に、市民は国民国家という統治共同体と双務契約に入るが、いったい個人の諸権利のうちのどこまでを国家に引き渡したことになるのであろうかという問いである。わたしたちは少なくとも自分の生命と身体までは国家に委ねていない。わたしの生命と身体はわたしにしか属さないということができる。

 ◆□◆講演録/論文全体へのURL:http://ci.nii.ac.jp/naid/110000198949
                cf.http://ci.nii.ac.jp/naid/110000198948/

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