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とどくとおもう Ⅱ

Full of Junk and Nothing

過剰な均質性への衝動

《学校は家庭・地域と連携できるのか》(2001)
 http://ci.nii.ac.jp/naid/40000708381

サイニィでは読めないが内閣府サイトで読める(微笑)。
◆抜粋◆******************************************************
「家庭」を一枚岩ではなく、異質なものの糾合体と考えるならば、
学校と親との関係、あるいは親と親との関係は、
葛藤や妥協こそがむしろ常態ではないだろうか、ということである。
   ・・・〔中略〕・・・
「連携」のない状態をプラスに評価してもよいのかもしれない。
日本の社会は、常に過剰な均質性へと向かいがちな衝動を持っている。
「地域ぐるみ」「学校ぐるみ」の運動や、「一人ひとりの親がちゃんとやれ」といった議論は、
過剰な同調を強いるシステムを呼び込みかねない。
**************************************************************
cf.――http://www8.cao.go.jp/youth/suisin/ikuseikon/kondan020705/04gaiyou.html
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コメント


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過剰な均質性とは、ぎゅう詰めの饅頭

内閣府サイトの資料を拾い読みしました。
ものによってはすごい違和感!!こ~んな上から目線で子どもに接しては、うまくいくはずないよね、って思っちゃいました。

抜粋された文章、賛同です。

>「一人ひとりの親がちゃんとやれ」といった議論は、過剰な同調を強いるシステムを呼び込みかねない。

とくにここの部分。
親も子も、人間ですもの。体調や能力等々、均質であるわけがない。なのに、理想の100%できる能力を求めてしまいがちな傾向を、常々感じています。親にも、子にも。
一人一人の能力・個性・等々はでこぼこであるがゆえに、社会はおもしろいと思います。いわば、ジグソーパズルのピース(個人)を組み合わせて、求める絵がだいたい描ければよし!
なのに、人をまあるくしようとして、無理させて、しかも一人一人を四角い箱にぎゅう詰めにしている…そんな社会の風潮を感じてなりません。さしずめ、ぎゅう詰めの饅頭です。

猫紫紺 | URL | 2012年11月05日(Mon)23:18 [EDIT]


Re: 過剰な均質性とは、ぎゅう詰めの饅頭

猫紫紺さん、ども!

私は広田照幸の色々な文章が面白いと思います。
内閣府サイトにあるもの数本を含め、当時の広田論文は《教育には何ができないか》(2003)に収録されていて、今井重孝が絶賛しています。
  http://157.1.40.181/naid/110001889076

また、広田の『ヒューマニティーズ 教育学』(2009)を書評する記事の冒頭で、宮寺晃夫が次のように述べています。
****************************************
『教育問題はなぜ間違って語られるのか?』(伊藤茂樹氏との共著、日本図書センター、2010年9月刊)で、広田照幸氏は、「みんなで「有識者」のトンデモ教育論を嗤ってやりましょう」と呼びかけている(234頁)。マスコミで、まことしやかに教育問題を解説する「有識者」に、警戒を呼びかけているのだ。心理学の知見や、社会調査のデータを引いて俗説を流布する教育の専門家に対しても、同様である。広田氏は、専門家にも、素人にも必要なのは、事実認識をしっかり踏まえて、問題を自分で記述し、解釈し、告発していくことだと説いている。そのための手順を、「教育問題についてのリテラシー」として示してもいる。
*****************************************
 http://157.1.40.181/naid/110008440554

私は、専門家も素人も【事実認識をしっかり踏まえて、問題を自分で記述し、解釈し、告発していくこと】が必要、という考え方に魅力を感じます。

なお、「みんな違ってみんないい」とか「世界に一つだけの花」とかが流行る社会と、【過剰な均質性へと向かいがちな衝動】がある社会とが、どのように折り合いを付けているのか――と考えることにも関心が湧きます(笑)。

FJN | URL | 2012年11月06日(Tue)11:04 [EDIT]


Re:Re: 過剰な均質性とは、ぎゅう詰めの饅頭

FJNさん、いろいろご教示ありがとうございます!
広田照幸さん、冷徹な観察眼と歯に衣着せぬ表現力をもつ素晴らしい方ですね!ライスワークを放っておいて、リンク先で読めるもの全部読んでしまいました。
《教育には何ができないか》は残念ながら図書館になかったのですが、他の本、予約してしまいました。

広田氏の論考の中で印象的だったのは、「間引き」と昔の子育て事情に言及したものです。「間引き」や「丁稚/子守奉公」はおそらく「通い婚(夜這い)」風習の結果だろうと思いますが…
それと、青少年とアイデンティティー保留装置としての学校、というのも興味深いものでした。

>私は、専門家も素人も【事実認識をしっかり踏まえて、問題を自分で記述し、解釈し、告発していくこと】が必要、という考え方に魅力を感じます。

わたしも、この考え方に大いに賛同いたします!
会社員時代、「自分の頭で考えろ!」と散々上司に叱られましたが、それに通ずるものがある――と勝手に思います。

>なお、「みんな違ってみんないい」とか「世界に一つだけの花」とかが流行る社会と、【過剰な均質性へと向かいがちな衝動】がある社会とが、どのように折り合いを付けているのか――と考えることにも関心が湧きます(笑)。

これ、めちゃめちゃ難しいお題ですね。
そして魅力的です。
現象の一つとして、「ママ友グループ」があげられそうです。気の合うママ友同士数人でくっついて、いつもその仲間と行動する人々が一部にいます。個人で考え、動くことに、まるで恐怖でも感じているかのよう。しかし、それも、幼稚園(ほかにもありそう)という一時期の場合も多々ある模様。
理想と現実のはざまで葛藤する個人、の集団が社会なのかなぁ??と愚考する次第です。

猫紫紺 | URL | 2012年11月06日(Tue)17:57 [EDIT]


Re: Re:Re: 過剰な均質性とは、ぎゅう詰めの饅頭

猫紫紺さん、ども!

はい、私も広田論文《現代の母親はダメになったのか?》を印象深く読みました。
特に、論文の最初のほう、1950年ごろの意識調査『子供の身売りに関する態度(2)』について、
  「人権」という語を知らない者ほど、子供の身売りに許容的であった
という解説を読んで、考え込みました。
現代でもよく聞く「子供が学校に【人質】に取られているから…」という言い方と似ている――と感じて考え込みました。
つまり、現代でも、【人権】を知らない人ほど【子供は学校の人質】という考え方を許容しているのではないだろうかと思ったのです(苦笑)。

  > これ、めちゃめちゃ難しいお題ですね。
  > そして魅力的です。
関心を寄せていただきありがとうございます。
私は、PTAの本部役員経験者数人と話した際、話し合いでは、会員に一律のノルマを課すことの必要性を主張した人たちが、話し合いの後の雑談では、金子みすずの「みんな違ってみんないい」という詩やSMAPの「世界に一つだけの花」という歌への共感を口にするのを聞いた時に『あれれれれ?!』と思ったのです。
『そんなの変じゃん!』と思った直後に『変だけど面白いじゃん!』と思いました。
でもって、今も考えています(再苦笑)。

・・・いわゆる「ママ友づきあい」の、無邪気と無慈悲の万華鏡みたいな生態、についても考えておりまする(笑)。

FJN | URL | 2012年11月07日(Wed)19:15 [EDIT]