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とどくとおもう Ⅱ

Full of Junk and Nothing

退職の辞

私淑し学恩を感じることもあり、最終講義として読んだ(微笑)。
当該誌のページxxxiii以降から適宜抜粋コピペ。
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   ・・・〔前略〕・・・
さて、書き過ぎてしまったかもしれないが、思えば、学部長の永井政之博士より「最終講義」のようなことを熱心に勧められながら固辞して退職してしまったこともあって、それに代えるつもりで、一時限分約六十枚を念頭に書き始めてきたが、かなり前にその枚数を超えてしまったので、これ以降は、暦が改まった後の二〇一〇学年度のことを日記風に綴りながらお別れを告げることにしたい。
   ・・・〔中略〕・・・
昆野伸幸「戦時期文部省の教化政策――『国体の本義』を中心に」『文芸研究――文芸・言語・思想――』第一六七集(二〇〇九年三月)、六四―七五頁を後で読んでみて、その中に、私の曽て愛読した柳田謙十郎博士が、唯物論へ転向する前の一九三九(昭和一四)年の時点でも、文部省教学官となる依頼を断っていたことを初めて知って嬉しかった。私は、高校三年の時に、柳田博士の著書に巡り会い、大学二年になるまでは熱心な愛読者であり、その後、意識して封印してしまったが、今でもその数冊の著書を所持している。『弁証法入門』(青春出版社、一九五八年、一九六一年第一一刷)に至っては、私には珍しいことだが、末尾に、高校三年の一九六一年に、六月一七日と九月十四日と十一月二十六日との三度にわたって読了されたことが今見てもきちっと分かるように記し残されている。私は終に「唯物論」(勿論「史的唯物論」)者に成り切ってしまうことはなかったが、「観念論」か「唯物論」かのいずれかしかなく、どちらでもないなどというのは「観念論」にほかならない、という柳田博士の転向をもっての説得にはほとんど屈したも同然だったのである。
   ・・・〔中略〕・・・
三月九日には、残余の図書を自宅に送付するだけでよいばかりになっていた。その日、午後に到着予定の配送業者を待つまでの午前中に、私は大学の事務室で最後のコピーを行っていたが、午前十一時四五分に事務室のある六階が大きくゆっくりと揺れた。
   ・・・〔中略〕・・・
その後、配送業者は思っていた以上に早く来てくれたので、本の運び出しも午後のかなり早い時間に終った。余裕ができたので帰路横浜に寄って買物もすませ、夕方の食事時には帰宅できた。しかし、地震の怖さが頭に残っていたせいか、夜のNHKのテレビ放送だったかと思うが、東大の地震研の助教という若い女性の研究者が、その日の午前中の地震は宮城沖に想定されているプレートに由来する地震とは全く関係ないと言い切った解説に妙な反発を覚えたものである。しかるに、この地震については、後日、同じ東大地震研の助教、加藤愛太郎氏が、恐らくはこれをも含むであろう「海側のプレート(岩板)が陸側に沈み込む境界で起きた本震までの一連の地震を解析した」(『毎日新聞』夕刊、二〇一一年五月二十一日(土)、第一面)結果の発表を、五月二十二日から開催の「日本地球惑星科学連合大会」で行うとの報道があったので、東大地震研の名誉のために補足しておく。
   ・・・〔後略〕・・・
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cf.――《略歴業績及び退職の辞》(2011)
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