とどくとおもう Ⅱ

Full of Junk and Nothing

ぷ~た資料902:自己決定の権利

【人権の保持】と【人権の実現】について阿久澤が説明している。
人権教育では「思いやり・やさしさ・いたわり」といった価値を教えたらいいのでしょうか?という問いへの答えを根気よく読み込もうと思う。

以下、コピペして恣意的に抜粋(適宜改行etc.byFJN)。
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「自らの人権を学ぶ」ことは、人権教育の根本的な部分でありながら、
  「学校で子どもに権利を教えると、
   自分勝手な主張が増えて、
   学校がまとまらなくなる」
とか、
  「子どもにはまずは義務を教えるべき」
という市民意識は根強く、
それゆえ学校における人権教育は、
  表面的な憲法学習

  「思いやり・やさしさ・いたわり」といった徳目的な価値の学習
にとどめられてしまいがちです。
こうした傾向は市民啓発にも共通するかもしれません。

   ・・・〔中略〕・・・

  「弱者を思いやろう、助けてあげよう」
という意識は、
時に「強者」である自分と相手との間に横たわる、非対称な力関係を意識せぬまま、
「相手のために良いことをする」ことを正当化してしまいます。
例えば
  女性、子ども、障がい者、高齢者が人権の主体であり、自己決定の権利を持つということ
を忘れてしまってはいないでしょうか。
人権の視点から人を本当に「おもいやる」ことは、保護主義とは異なり、
  権利を持つ当事者が、エンパワメントされ、自己決定をすることを大切にすること
です。

   ・・・〔中略〕・・・

「人権教育と研修に関する国連宣言」に立ち返ってみると、
そこには「教育」だけでなく「研修」という言葉が使われていることにも注意が必要です。
「市民」だけが人権教育の対象なのではなく、
市民の人権を実現する「責務の保持者」の研修があわせて重視されているからです。
  権利の保持者(rights-holders)
である市民が人権について学ぶだけでなく、
  人権を実現する責務を持つ側(duty-bearers)
の意識と応答力を研修によって高めなくては、人権は「絵に描いた餅」になってしまうからです。
人権を学ぶことを、教育と研修という両面からとらえることは、
  人権を「市民」と「国」の関係の中からとらえること
につながります。
                     (阿久澤麻理子)
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