
改行と太字化は私の適宜な恣意による。
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私は、様々な議論が現代の大人のいら立ちから出ているという感じがしています。
いら立ちにある時は、
むしろ事を決するには冷静を取り戻す必要があるだろうと思います。
この規範意識の問題も、
現在の若者には過去にはとても考えられなかったようなことがあるということで、
一足飛びに対症療法に行くのが我々の常なのですが、
子どもの成長のプロセスというような
比較的科学的にあるいは学問的に説明されていることを
もう一度しっかり見ていく必要があるのではないかと思っています。
小学校の低学年くらいまでは
規範を与える神様に当たるような人が
具体的な人物として存在します。
それは、
母や父や幼稚園の先生であったり、
あるいは学校の先生であったりします。
ところが、
子どもたちは中学年くらいからはむしろ
ルールを自分たちで、仲間のうちで決めていく段階があり、
さらには、
自我の成長とともに悩み苦しみながら自分なりに
自分が生きていく上でのルールをつくっていくプロセスがあります。
ですから、私は、
小・中学校をずばっと全部同じ発想で、1本で考えていくのはいかがなものか
と思っているのです。
ですから、
一、二年生くらいのところまでは確かにしっかりと禁止というか、
すべからずを教えなければならない時期だろうと思います。
しかし、それは次第に緩めていかないと、
子どもが自律をしていく、
他律から自律への成長にしっかりとかなったものにはならないのではないでしょうか。
「心のノート」が当初から、子どもが自ら見て、そしてそれを基に考える、
そういう自ら学び自ら考えるという材料としてつくられたという趣旨は
今回も変わっていないと思うのです。
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以上で抜粋は終わり。
…ひとまず【ぷ~た資料172】も以上で括る。


