とどくとおもう Ⅱ

Full of Junk and Nothing

ぷ~た資料956:PTA発足の一例

以下、羽村町教育委員会が発行した《はむらの歴史》(平成2(1990)年3月31日 第1刷発行)のpp.234-235から。なお、この本の編集は羽村町郷土博物館。
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PTAの発足
 住民が古いしきたりからぬけだすために、学校といっしょになって民主主義を学び、身につけるべき手引きの役割を果たしたのがPTAでした。とかく風通しのわるかった学校は、PTA活動をとおして、地域住民に開かれ、地域の子どものために存在する学校として、様変わりしていきました。
 西多摩小学校PTAの芽生えは、昭和二十二年(一九四七)七月、この年度の新入生の親と担任が協議して、一年生父母の会を発足させたことにはじまります。
 当時、ノートがわりに製麺所の包み紙をわけて使わせてもらわねばならないほど物資は欠乏していました。したがって、子どもの学用品をどう手に入れて、少しでも学習を手助けするには何をしたらよいかが、中心的活動だったのです。冬には、薪数本をもち寄って暖をとり、タクワン一きれずつを分けあっての会合でした。
 村長を会長とする学校後援会(会費五円)の上に、さらにPTAを作って会費を二重にとるのはけしからんとする反対論もあって、発足は順調ではありませんでした。しかし、翌年はこれにならって、各学年ごとに「○年生父母の会」が作られました(この学年PTAは昭和二十八年に一本化されました)。
 この産みの苦しみをとおして、近寄りがたかった学校が、特に母親の手のとどく存在として実感されはじめました。そして、在来の村の有力者が、次々とこの組織運営にたずさわることになって、民主化はいっそう促進され、村民の精神的支柱もだんだんと確立されていきました。
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コメント


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なるほどすばらしいですね。
いったいいつから、PTAはイヤなことを平等に負担し合い、抜け駆けをハブる組織になっちゃったんでしょうか。残念なことです。
あっ、もしかして当初から、タクワンをもってこない保護者は陰口たたかれてたのかもしれませんけどね。

ぶきゃこ | URL | 2013年03月16日(Sat)08:23 [EDIT]


Re:

ぶきゃこさん、ども!
  > いったいいつから・・・
和風PTAの始まりについて、私は「1886(明治19)年ころ説」を採用しています。
 cf.――ぷ~た川柳569:PTA始まりは明治19年
     http://todoct.blog85.fc2.com/blog-entry-3901.html
和風デモクラシーの始まりについても「明治説」を採用します。
GHQデモクラシーについては「女性の女性による女性のための民主主義」という側面に注目します。
したがって《はむらの歴史》に書かれた史実ふう文章も、ところどころ、眉唾読みしました。
当然、タクワン問題があっただろうと思います。

FJN | URL | 2013年03月16日(Sat)13:31 [EDIT]