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とどくとおもう Ⅱ

Full of Junk and Nothing

ぷ~た資料20:6年前の週刊誌記事――ST県ぷ~た連騒動(2)

当時、つまり世紀末から世紀初にかけて、私の知悉する単位プ~タは、
  【パパパトロンでマママフィア!】
といった情況であったが、その上部団体系の連合体プ~タ各層は、
  【パパパ~プリンでマママッツァオ!!】
といった様相を呈していた。
以下、〈週刊朝日〉2002年7月19日号pp.22-26の概要である。
1県名と2市名はST・KKBと置換した。[ ]内は拙註。

[大見出し]
STで発覚 驚愕!! PTAズサン経理の内幕 知らぬは会費払っている親ばかり…
「ユーレイ会社」に3000万円イベント発注から 生徒の団体保険 巨額キックバック疑惑まで
  怪しい領収書がザックザク
[リード文]
ST県PTA連合会が、大揺れに揺れている。業務委託したイベント業者に支払った3千万円の使途をめぐって、県P連と業者が全面対決の構えなのだ。その一方では、県P連と関連団体が保険加入の見返りとして、保険会社などから6千万円もの“キックバック”を受け取ったことも判明。いったい何があったのか。
[本文]
 ここに一枚の領収書のコピーがある。あて名は「ST県PTA連合会」で、日付は平成13年6月25日。金額は4万5千円、領収書を発行した会社の住所は、新宿区歌舞伎町1丁目と記されている。
 だが、その住所にあったのは会社ではなく“クラブ”だった。あいにく閉店後だったので店内をうかがい知ることはできないが、そこはキャバクラやフィリピンパブ、ショーパブがひしめく雑居ビルの8階。夜明けまで呼び込みの声が絶えない、区役所通りのど真ん中にある店なのだ。
 ST県PTA連合会(県P連)は県内の公立小中学校のPTA会員51万人で構成されるボランティア団体だ。いったい、ここで何の会合を開いたというのだろうか――。
 実はこの領収書、県P連が直接切ったものではない。県P連から業務委託されたイベント会社「P社」が、会議費として使ったものだ。
 不可解な領収書は、まだあった。ST市内の中華料理店で35万3430円、同市内の“サパークラブ”で10万円、日付のない4万5千円。秋田市内の飲食店で12万8千円……なかには新宿区内の炭焼きステーキ店で2100円と、1人分の食事と思われる領収書まである。
 さらに驚くのは、改竄と疑いたくなる領収書が何枚もあることだ。いずれも都内の印刷店で発行されているものだが、「平成4年」「平成6年」と印字されていた日付欄を、わざわざ手書きで「平成13年」と直しているのだ。
 県P連幹部が明かす。
「おかしいと思って、この印刷店を訪ねたところ、お店の人は『P社とは1度しか仕事をしていない』と言うんです。実際に受注したときの領収書を見てみたら、金額がきちんとコンピューターで印字してあった。こんないいかげんなP社に、PTAの全国大会を任せられませんよ」
 県P連とP社の間に、いったい何があったのか。
 発端は99年12月、「日本PTA全国研究大会」の第50回大会の開催地がST県に決まったときにさかのぼる。
 PTA全国研究大会とは、日本PTA全国協議会と、開催地となる各都道府県のPTA連合会が主催する年1回のビッグイベントだ。有識者の講演やさまざまなテーマごとに研究課題に取り組むことを通じて、教育の在り方についての議論を深めようというのが目的だが、会場の設営や予算の工面は“ホスト役”となる各都道府県のPTA連合会が行うことになっている。
「2002年の大会は第50回という記念大会なので、規模を大きくしたいという声があった。要人が来やすい地域がいいと思っていたところ、ST県P連から『ぜひウチで』と強い要請があった」(日本PTA全国協議会事務局)
 第50回大会は、今年[2002年]8月23、24日に、STスーパーアリーナほか10会場で行われることに決まったのだが、ここで問題が発生した。県P連関係者が言う。
「記念大会ということもあって、全国から1万5千人もの参加者が来ると予想されたので、会場設営や案内などの裏方業務はイベント会社へ外注しようと、当時のA会長が発案したんです。ところが、その発注先がとんでもない会社だったというわけ」
 候補に挙がったのは、P社を含む3社。ところが、
「いつの間にか、P社に決まっていたんです。A会長は『コンペで決めた』と言ったのですが、『いつコンペをしたのか』と聞いても言を左右にするばかり」(県P連幹部)
 しかも、このコンペ相手とされた企業に対しても、疑問の声が上がっている。
 あるPTA会員は言う。
「実は3社のうちの一社が、P社の真裏にある小さな印刷会社だった。とても1万5千人規模のイベントを仕切るようには見えないんです」
 この会社の登記には、「印刷業・印刷物の企画及びデザイン」とあるが、「イベントの企画」とは載っていない。取締役に名を連ねているのは、社長以下同じ名字が3人。実際にこの会社を訪ねてみたが、輪転機が数台回っている文字どおりの印刷会社だった。
 ところが、社長はこんな意味深なことを言うのである。
「コンペに参加したかどうかは言えませんよ……ええ、P社さんとのつきあいはありますがね……」
 ともあれ、こうした不可解な経緯の末、県P連は01年2月20日、P社と契約した。企画運営料など総事業費は1億2千万円。支払い方法は契約時に3千万円、開催210日前に4千万円、大会終了後に5千万円の分割払いとなり、契約日の翌日には3千万円が支払われた。もちろん、このカネはすべて県P連側から捻出された。元をたどれば、親が払ったPTA会費だ。
 ところが、その数ヵ月後、県P連の役員の一人は、とんでもない事実を把握した。
「契約のいきさつも不透明だったし、いつまでたってもイベントの進捗状況の報告がない。変だと思って、P社の商業登記を調べてみたら、3千万円が支払われたときに、P社は存在していないことがわかったんです」
 登記上、P社は01年5月24日に資本金1千万円で設立されている。なんと、01年2月の契約の時点では“ユーレイ会社”だったのだ。
 しかも、この会社は住所を転々としていた。
「名刺や郵便物の連絡先に電話してもつながらない。すでにPTA会費から捻出した3千万円もの大金を振り込んでいるのに、こっちからは連絡が取れない。連絡先を知っているのはA会長だけだったんです」(県P連関係者)
 実際、郵便物に記された新宿区内のビルを訪ねてみると、すでに別の会社だった。
「4、5年前にデザイン関係の会社があったけど、Pという名前ではなかったと思う。もう1年以上前に引っ越しちゃったしね」(ビルの住人)
 現在の登記上の住所は、新宿区内の別のビルの一室。“本社所在地”を訪ねてみると、インターホン越しに、
「え? 私一人で住んでいますが、何か?」
 と若い女性の声。
[小見出し]
●領収書の提示をいったんは拒否●
[本文]
 別の階の会社員は話す。
「確かにPという会社がありましたが、この4月に転居されました。2年もいませんでしたね。いまでも郵便物が届いていますから、転居届を出していないんでしょう」
 その一方で、P社は弁護士を通じ、県P連幹部の一人に内容証明郵便を2度も送りつけていたのである。
 この幹部が明かす。
「1回目は今年[2002年]の6月7日。『再三4千万円の支払いを催促してきたが、支払われない』という理由で県P連と解約する通告でした。でも、準備の進捗状況を報告しないのはP社側だと思い、質問状を送ったら、21日に2度目の内容証明が送られてきた。開催まで残り2ヵ月なのに、『まだイベントが始まっていないから、実態がないのは当然』と言ってきた。あきれますよ」
 ちなみに、内容証明に記されたP社の住所は、4月に転居する前のもの。現在、P社がどこにあるかわからない。
 そこで、県P連側が支払った3千万円の使途を明らかにするよう領収書の提出を求めたのだ。P社側はかたくなに拒否したが、交渉の末、領収書のコピーの束が届いた。そこで明らかになったのが、冒頭の領収書だったのだ。
「でも、届いたのは、01年1月から12月までの分だけ。02年3月までの帳簿を見せてもらったが、使途がはっきりしない。われわれはボランティアなので、打ち合わせの飲食費も全部自腹なんです。P社は民間企業でしょうが、3千万円の原資はわれわれのPTA会費から捻出されているお金だということを考えてほしいんです」(PTA会員)
 PTA全国大会は仕切り直しとなり、コンペによって他のイベント会社が受注した。
「演目も決まり、大会パンフレットが印刷され、順調に準備が進んでいる」(日本PTA全国協議会事務局)
 だが、予算規模は当初の1億2千万円から8800万円へ縮小された。
「みんなが会費から捻出した3千万円は返ってこないかもしれない。それどころか未払いの4千万円の件もあるし、P社から損害賠償請求される可能性もある。肝心のA会長は6月に任期満了で、退いてしまいました」
 と、あるPTA会員はため息をつくのだが……。
 本誌はP社の社長を直撃したが、
「弁護士を通してください」
 と言うばかり。弁護士も、
「最近受任したばかりなのでよくわからない。それに守秘義務がありますので、いまの段階ではお答えできません」
 と言う。P社と契約を交わした当時の責任者である県P連前会長のA氏にも取材を申し入れた。A前会長は、
「いろいろと迷惑をかけたことは申し訳ないと思っています。確かに民間の企業から見れば、PTAはずいぶんずさんだったと思います」
 と言い、P社を選んだいきさつについて明かした。
「知人を通じて、P社ともう1社を紹介してもらった。各地区のPTA会長や副会長が集まる席上でも、イベント会社を募集したが、みなさん興味がなかったのか、結局3社しか集まらなかった。コンペというか、私が用意した2社で比較したら、P社のほうが企画書も分厚く、実績もあったので、『P社に任せる』と理事会で説明したのですが、だれも異論を出さなかった。それを今さら不透明だのどうのと言われてもねぇ……」
 コンペ相手とされる印刷会社については、
「業務内容を知りませんでした。会社をよく調べなかったことは反省します」
 と話し、こう弁解した。
「いろいろ混乱があったんです。というのも、ちょうどそのころ、PTAでは“保険問題”が紛糾していた。私はこの対処で忙殺されていましたし、これが原因でST大会が中止になる可能性もあると思ったんです」
 A氏によると、問題のイベント発注の背景には“保険問題”があったというのだ。
 いったい“保険問題”とは何か? ――実は今年1月、ST県P連とその関連団体において、巨額の“保険料のキックバック疑惑”が浮かび上がっていたのである。
 県P連では96年4月から今年[2002年]4月まで、「小・中学生総合保障制度」という団体扱いの傷害保険を実施していた。
「校内外でのケガや交通事故に24時間対応できる任意保険ということで、95年11月の理事会[ST県PTA連合会の理事会]で当時のM会長が提案した。そのときは何の疑いもなく了承され、96年2月にはパンフレットが50万枚印刷されていました」(A前会長)
 パンフレットは学校[ST県内の公立小中学校]に送られ、教員[単位PTAのT会員]がボランティアで教室の児童[原文どおり]に配り、親[単位PTAのP会員]から保険料を集めるというシステムができあがったのだ。
 年間保険料は5千円から1万円で、00年度には加入者は約3万人、年間保険料は2億円を軽く超えた。
 ところが、この保険には妙なカラクリガあった。保険加入の見返りとして、県P連が特定の保険代理店などから巨額の“手数料”を受け取っていたのである。
 右の図[省略]をもとに説明すると、PTA会員から集められた保険料は、県P連を経てKKB市内の大手損保の代理店へ納められる。すると、この代理店から県P連の内部組織であるPTA安全互助会に業務委託手数料(1件500円)が支払われ、県P連と折半されていたという。その後、代理店から保険料を徴収した大手損保のST支社が、さらに集金事務費の名目で1件につき3%を県P連に支払うという仕組みになっていた。
 県P連とその関連団体に渡った手数料収入は、わかっているだけで、6千万円にものぼるというのだ。
 この一件は年明け[2002年の年明け]に、一部新聞でも報じられたが、実はその後、奇妙な契約の変更が発覚したのである。
 この問題を半年間、追及している保険評論家のS氏[原文は氏名表記。以下同]が明かす。
「実は、代理店から安全互助会へ流れるはずの業務委託手数料1600万円が、99年度にはST県PTA教育研究所へ流れていた。手数料契約が付け替えられていたのです」
 ST県PTA教育研究所は98年7月、県P連から1500万円の設立資金を受けて設立された、“シンクタンク”というふれこみの組織である。今年4月[2002年4月]に閉鎖されるまで、研究所ではカウンセラーによる教育相談や会報誌の発行などを行っていたが、実質的に運営していたのは、専務理事のM氏、つまり県P連が保険事業を始めた当時の会長だ。
「この研究所はST市内の大手損保のビルの中にあったのですが、なんのことはない、この大手損保こそが、PTA会員が県P連を通じて加入した保険を、とりまとめて納めていた保険会社そのものなんですよ」(S氏)
[小見出し]
●カード利用額の一部もPTAに●
[本文]
 しかも、手数料を払っていた代理店は、M氏の自宅と同じKKB市内にある。
「なぜ、あの代理店でなくてはいけなかったのか全然わからない。それにすべての契約書にはM氏が印鑑を押している。どんな経緯でそうなったのか、説明がないんです」
 と、県P連幹部は首をかしげる。前出のS氏も言う。
「この手の保険は損保会社の法人営業部に一括で任せて、保険料を安く設定するのが常識です。にもかかわらず、特定の代理店に一括で保険料を納め、県P連の関連団体や内部組織に、二重に手数料が入る仕組みになっている。PTA役員の立場を利用して、保険を食いものにした、きわめて悪質な手口です」
 しかも、ST県PTA教育研究所では、「教育サポートカード」などというクレジットカードを発行し、利用額の0.5%がカード会社から研究所へ提供される仕組みまでつくっていたのである。
 不明朗なイベント発注をした張本人のA前会長でさえ、
「さすがに、保険の手数料はやりすぎでした。Mさんの手法は、ビジネスに寄りすぎるきらいがあったんです」
 M氏は93年から00年まで県P連会長を務め、98年からは日本PTA全国協議会会長も兼任。文部省(当時)の中央教育審議会委員[日本PTA全国協議会会長ポストにその都度あてがわれるポスト職]だったこともある人物だが、
「生命保険会社やシンクタンクを転々とした後、外資系の保険会社の顧問をやっていると聞いているが、ふだんは何の仕事をしているのかわからない」(県P連関係者)
 という謎の人物なのだ。[私もよく「ふだんは何の仕事をしているのかわからない」と言われる(笑)。]
 いったい、県P連の関連団体に手数料を還流させることで、M氏は何をしようとしていたのだろうか。
 本誌はM氏に再三取材を申し込んだが、家人を通じて、
「すでに主人はPTAからは離れていますし、もう昔のことなので、お話しすることはございません」
 と答えるのみだった。
 この6月[2002年6月]に新しく就任した現県P連の会長は、こう話す。
「先日の総会でもご報告しましたが、保険やイベントの問題については、それぞれ責任者を立てて、事実関係を明らかにしていきたい。透明性の高いPTAを目指します」
 だが、A氏はこう言う。
「今回の保険やイベントの問題で、弁護士や会計士にも『カネの管理がずさんすぎる』と指摘されました。確かにそのとおりでした。PTAには黙っていても数千万円という巨額の会費が入る。でも、帳簿は手書きで、民間企業に比べればきちんと管理されていないし、ふだんの仕事の片手間でやっているから、チェックも甘い。いろんな業者が勧誘や営業に来る。悪い人間にむしばまれれば、いくらだって悪いことができる環境にある。これはSTに限った話ではないと思います」
 SS/本誌・SH[原文は両記者とも氏名表記]

――以上。誤記等は追って適宜補整する。

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