
タイトルは《全然ネガティヴさを感じません。》
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まぶしくて見えにくい時にサングラスをかけると見やすくなります。
こみいっていて見えにくい時にルーペをあてると見やすくなります。
サングラスやルーペを用いて見る姿勢は、通常、ポズィティヴ(積極的)です。
私は、このように考えるので、御発言にネガティヴさ(消極性)を感じませんでした、全然。
御書きになった内容はポズィティヴ(建設的)な姿勢に基づいている、と私は理解しました。
すべて正論だと思います。
とりわけ、
【『PTAや保護者の会は任意加入』という認識を広めたい】も、
【「子どもを学校に預けている以上、役員はやるのが当然」という言葉にビビるのはやめよう】も、
【家庭を第一に考える事を忘れさせる恐い役員の仕事】も、
【本来優先させるべきものを見誤る可能性を秘めているPTA。おかしい】も、
真っ当すぎるほどの正論だと実感しました。
私が見るに、
【「役員をやっているとイライラして子どもに当たってしまう」という声がある】のも、
【「役員の仕事を抜けられないために具合が悪い子を無理矢理幼稚園に行かせた」という人がいる】のも、
そういう状況に“PTAや保護者の会”が追い込むから、です。
「冷静でない」と見える行動に追い込むのが“PTAや保護者の会”だから、です。
ポズィティヴ(積極的/楽観的)な姿勢で見ると、
自然に、
“PTAや保護者の会”のネガティヴさ(悲観的様相/暗さ)が見えるのではないでしょうか。
あるいは、ポズィティヴ(積極的/楽観的)な姿勢で見ないかぎり、“PTAや保護者の会”のネガティヴさ(悲観的様相/暗さ)が見えないのかもしれません。
私は“PTAや保護者の会”の方々と会話していて、
「変だと感じることは会議や話し合いの場で冷静に発言しないと…」
という意見を聞いたことがあります。
驚きのあまり、私は5秒ほど沈黙しました。
約6秒してから、私はやっと、
「あのぉ…あまりに変すぎると…『呆れて物も言えない』場合だってある…そんなことくらい、小学生だった頃からの御体験で、おわかりでしょう? 私は、中学生ぐらいの頃から、そういう場合には、つい両手で口を覆うクセが付きました…今もそのクセはあります…」
と言いました。
それ以後、“PTAや保護者の会”系の会議では、適宜、両手で口を覆うことで、
「あの人は、ポズィティヴ(積極的/建設的)なクセで、変だと感じたことに対して、ネガティヴ(否定的/破壊的)な意思を、表明しているらしい」
と、伝わる人には伝わったようです。
たとえば、そんなクセが出るのは、当時も今も、次のような発言を聞いた時です。
【PTAが「任意加入であること」を周知するか否かは、各PTAの各会員の判断でかまいません】
【「任意加入」は、PTAの一つのあり方にすぎません】
【PTAはボランティア団体だけれども「役員をやることに生き甲斐を感じられる人が役員をやるのがボランティア」というのは暴論です】
このような発言を聞きながら私は、
『甘く評せば「無知に基づく幸福な錯覚」だけれど、厳しく評せば「過誤に無自覚な邪論で戯論」だよな!』
――と愚考するのが常なのです。
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…う~む、どことなくネガティヴ(非難的)だから、このまま投稿することについては、ポズィティヴな(明るい)気持ちで、ネガティヴ(消極的)になろう。
…(微笑)。
cf.本blog過去記事。
http://todoct.blog85.fc2.com/blog-entry-626.html
http://todoct.blog85.fc2.com/blog-entry-677.html


