とどくとおもう Ⅱ

Full of Junk and Nothing

天皇系とPTA(4)

1954(昭和29)年8月7日(土)、洞爺丸が津軽海峡をわたって夕方に函館港着、以後23日(月)まで天皇と皇后が北海道内を所々巡幸した。象徴天皇がやって来る≫(1988)p.89-p.91によると、北海道新聞が同年同月3日(火)付朝刊第8面に【国民と親しい接触を】と題する談話記事を載せた。談話者は札幌市小学校連合PTA副会長、42歳。
以下、同書p.90の2行目からp.91の3行目までに基づき、談話記事を再現する。

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 天皇のお迎えの態度ですか、むずかしいですね……。このままでは、憲法にうたってある象徴という言葉も無視されているかっこうですからネ。学校でも教科書にないからといわずに必要な事項はもっと積極的に教えてもらいたいものです。天皇の地位や、お仕事の内容などについて、もっと低学年から教えこんでおく必要がある。現在のように小学校六年の教科書に始めて出るのではおそすぎますヨ。
 もちろん、私も天皇の神格化には大反対。あくまで、人間天皇として教えこんでもらわなくては……。そうでなくても、逆コースばやりで天皇と国民の間が次第に離れてゆくように見受けられるから……。こんどの御来道でも従来以上に警護が厳重と聞いていますが、どちらの側に原因があるにせよ、国民が親しみをもって接することがだんだん難しくなり“遠くから眺める天皇”がつくられて行く傾向は困ったものです。終戦直後の関西旅行などでは、各地でもみくちゃにされそうなほおえましい風景をえがきだしたそうですが、そうした在り方こそ、象徴としての天皇にふさわしいものではないでしょうか。
 また、御日程などにも、もっと弾力性をもたせ、その場の空気や天皇の御意思によって、多少の変更が自由にできる御旅行が実現したらたのしいと思います。天皇お迎えにからんで“君が代”が大分論議されましたネ。曲そのものは我々にしみこんでいるのだから捨てがたい気持ちですが、あの歌詞はどんな上手な弁護論があったとしても、古い時代の天皇―現代とは根本的に違っている天皇をたたえたものだから、文部省あたりが中心になって、新しい国歌をつくってほしいですネ。
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1954年に42歳ということは1912(大正1)年ころの生まれだ。大正のデモクラシーと昭和敗戦直後のデモクラシーと、両方の雰囲気を体験した世代にあたる。
なお≪象徴天皇がやって来る≫p.320年表には【ひとこと――国民と親しい接触を、天皇お迎え(市小学校連合PTA会副会長)】と記されている。新聞の現物も縮刷版も私は未見。

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