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とどくとおもう Ⅱ

Full of Junk and Nothing

眠れる豚、目覚めたる獅子

金沢大学社会教育研究室季報>#18(1967)pp.4-7掲載論文≪「教育保障」とPTA≫(by新谷賢太郎)のp.5左下-p.7右上を文字データで紹介する。
なお、原文の漢数字は適宜算用数字に、「つ」は適宜「っ」に置換した。また数学論理的におかしい箇所は放置した。

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 「教育保障」という言葉の意味を確かめるには、先般長野市で開かれた日本PTA全国協議会の大会での研究課題がよい手掛りを提供している。5項目あげられている。
  1.公費負担の軽減と全廃問題
  2.社会環境の浄化と心身障害児対策
  3.給食の義務化促進
  4.公害防止の抜本的対策
  5.へき地教育の振興
いづれも今日の教育の緊急研究課題であり、「教育保障」の今日的問題点を指摘している。
 社会保障制度の整備拡充の急がれるのは、いうまでもなく、個人が自己の生活にどうしても責任をもって処理し切れなくなった社会情勢のもとで当然の施策である。自分の生活を自分の責任で処理する生活態度を持することは正常人にとって義務であるが、20世紀における社会生活を営む個人の生活は個人の能力ではどうしようもない限界を超えた重圧にあえいでいる。「社会保障」の制度化によってこの重圧から個人の生活を守らねばならない。
 生計費に占める義務教育費の逐年加重は拍車をかけている昨今、公費負担の軽減あるいは全廃が父兄の痛感事として論議を呼ぶのももっともである。「教育保障」の諸問題とPTAが正面から取り組んでいることは注目される。学校後援会的従来のPTAから脱皮して、本来のPTAに立ち帰らねばならないというP側からの真摯な声は数年前から聞かれるところである。PTAの体質改善の突破口は、義務教育における私費負担の解消への努力という形をとった自己脱皮運動に見られる。また一面この間にあって「学校後援会的なPTAは廃止したらよい」というPTA無用論も聞かれる。こうしたP側からの無用論に対して、今度の長野大会でT側から「PTAが学校援助をやめるなら、PTAはもはや不要である」との発言があったと聞く。PTA無用論をめぐるP側とT側の云い分は全く矛盾対立している。学校後援会的PTAは不要であるというのに対し、非学校後援会的PTAは不要であるというのである。PTA無用論あるいは廃止論が大勢を占め、廃止に踏み切る気運より、体質改善に努める存続論がはるかに支配的動向であるとわたくしは現状を診断するものであるが、はっきりと今度の長野大会でP側とT側との矛盾対立する無用論が表面化したことは注目されることである。
 「教育保障」をめぐる諸施策のどれを先にして、どれを後にするかは文教政策上の政治問題であるが、根本において広く国民が「教育保障」について充分理解を深めることが求められる。政党本位の文教政策を越えて、こどもの幸福の問題を研究し実践するPTAが政治的中立性を維持しながら果さねばならない「教育保障」の諸問題は山積している今日である。
 「社会保障」関係の諸施策が不充分ではあるが戦後整備拡充されて来たところに、「社会保障」という固い言葉が日常用語化した最大の要因がうかがわれる。「教育保障」という言葉が今日未熟なのは、「教育保障」関係の諸施策が整備されぬままに散発的であるからだといえよう。
 PTAは日本で最も大きな成人組織であるといわれている。それなのにこれほど無力な全国組織も見当らないと陰口が聞かれないでもない。しかし各学校の日常運営面から見てPTAの援助なしには維持することのできない現状である。また戦後PTAの果した教育貢献度は高く評価される。ところでPTA会費の内訳を見ると、学校援助費の全国平均は6割を超える現状である。全国平均が6割を数えるということは、地区によっては7割・8割・9割のPTAのあることを物語る。
 いままでのPTAは昭和29年社会教育審議会のまとめた「PTA参考規約」をよりどころとして来た。今度新たに「父母と先生の会のあり方について」同審議会が文部大臣の諮問に答えて報告書を出している(6月23日付)。ある新聞は「PTAに新憲法」という見出しを付けて報道した。各中央紙はいづれも小さな記事として取扱っているので、あるいは気付かなかったひとも多かったかも知れない。さきにあげた長野大会でも各報道機関は記事にしなかったので、これまた知らないひとが多いであろうと想像される。
 社会教育の重要性を強調する事件記事は多いが、社会教育の研究集会や、社会教育の在り方をめぐる諸問題の報道記事は学校教育に関するものにくらべお話しにならぬほどお粗末である。月とスッポンの差が見られる。それはともかく、今度の社会教育審議会の報告の内容はいうまでもなくPTAの体質改善の方向を示すものであるが、PTA会費による公教育分担の禁止の方向を示す「教育保障」への積極的視点からの発言は見当らない。昭和29年の「PTA参考規約」がPTAの目的の一つとしていた「公教育費の充実につとめる」との条項は姿を消した。このことは「教育保障」の諸問題を体質改善・自己脱皮の契機として取組むPTAの姿勢を消極的に間接的に認めているのだともとれる。それにしても、公費負担禁止の積極的発言が欲しかった。
 PTAが今後どんなかたちで存続されるかさまざまに想像されるが、その学習・研究・実践課題として「教育保障」の諸問題をとりあげ、「教育保障」の制度化・体系化を推し進める母体としてPTAの活動を期待したい。とくに1300万人の参加会員を擁する日本PTA全国協議会が眠れる豚ではなく、目覚めたる獅子としての奮起を望むものである。

(1967.9.30)
(本研究室研究員・哲学)
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