
その後、【1973年頃の「PTA不要論」には「学校後援団体に成り下がっているから不要」という理由があった】という趣旨の記事(註2)を書いた。
今日は、
『そういえば数年前に「PTA不要論」というタイトルのサイト記事を読んだっけなぁ』
と思い出したので、記憶に基づき、その記事を紹介する。
私の記憶に基づくゆえ、どうしても文体は私の文体になってしまうし、文字遣いも私の文字遣いになってしまう。その点を含み置き、以下、高覧されたい。
(後日、いわば【PTA検定試験】に出題されそうな重要箇所は、太字化するかもしれない<微笑>)
註1――http://todoct.blog85.fc2.com/blog-entry-112.html
註2――http://todoct.blog85.fc2.com/blog-entry-830.html
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PTA不要論
ワタクシは「PTAは不要だ」と思っている。
ただし、「これをなくす」と言うと全国的に非難されることになる。
だから誰も公然とは言い出さない。
が、不要と思っている人は多い。
現に、どの学校でもPTAの役員を引き受ける人がいない。
新役員を決めるのに極めて難航する。
また、総会を開いても、
委任状は数多く出るが、
当日の出席は新旧役員だけ、
といった有様である。
一昔前は、PTA総会といえば体育館で行なっていたが、
今やほとんどの学校では図書室あたりで十分である。
PTAの存在意義については、
「学校と家庭との連携が必要であるから」
と論じられることが多い。
これは間違っている。
家庭で勉強させるにしてもしつけるにしても、
大切なのはPTA活動に動員させられて家を空けがちになる親ではなく、
家でじっくり子どもを見る親のほうが効果は高い。
つまり各家庭単位に見ても、
PTA活動にかける時間より子どもと過ごす時間のほうが大切である。
PTA活動は、いわゆる「学校と家庭との連携」とは無縁である。
御存じのように、PTA活動は、
・運営委員会と称する「会議」
・焼きそばとあてものを提供する「まつり」
・美味しい食事が目当ての「社会見学と称する親の日帰り旅行」
・PTA連合体の会議への「参加と上納金」
おそらく、どこのPTAもこういったものであろう。
こういう活動が学力の向上やしつけの向上につながると思う人はいないと思う。
PTAが無くても、学校としては困ることなど何も無い。
各行事には、別に来賓が来ても来なくても何も困らない。
PTAが無ければ、教員は今よりもっと授業に専念できるかもしれない。
この国では、「PTAの是非」を論じることさえ「非国民」の誹りを受けかねない。
だから、親のほとんどが「PTAは不要」と思ってはいても、
口にすることができないのである。
うっかり口にすると「地域で村八分に遭う」のは必至である。
しかし、あえて言う。
ワタクシは学校現場に、
長い間、身を置いているが、
PTAは不要である。
「PTA活動」と「学力やしつけの向上」とは無縁である。
つまり、はっきり言って、
「学校教育の目標とは全く関係ないもの、それがPTA」
なのである。
早くPTAを無くして、保護者を解放したい。
そして、保護者は、もっと家庭での子どもの指導に携わってほしい。
ワタクシは、そう思う。
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※ 私が記憶に基づき紹介するサイト記事は以上。
繰り返すが、私の記憶に基づいたゆえ私の文体と文字遣いであることを諒とされたい。


