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とどくとおもう Ⅱ

Full of Junk and Nothing

2016年パリの企画展

Persona, Étrangement humain

開催期間は2016年1月26日(火)〜2016年11月13日(日)だったとのこと。
see⇒

上掲サイトから抜粋。
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人間化の先にある「不気味の谷」
目に見えない「何者か」を具現化することに満足した私たちは、機械やオブジェを人間化することに興味を持つ。
これが、最近でも議論されている人工知能やヒューマノイドに繋がっていく。
後半の展示は、日本のロボット工学の先駆者である森政弘氏が唱えた「不気味の谷」という概念をキーワードに進んでいく。
「不気味の谷」とは、
モノが人間に近づくと私たちはそれを好意的に受け入れる。しかし、リアルになればなるほど、ある瞬間を境に共感が嫌悪感に一変する
という概念である。
例えば、今回展示されている日本のラブドールと呼ばれる、目の輝きやまつげの一本一本まで美しく再現されたシリコン製の人形や、毛穴までリアルに表現された義手、ロウ製の解剖人形などは、その表現は人間とそっくりなのだが、逆に血の通っていない死体を想像させ、「非人間」の部分が強調されてかえって不気味に感じる。
森氏はインタビュー映像で、仏陀や文楽の人形などは、かろうじて不気味の谷の頂上にいるので、嫌悪感を感じず好意的にとらえられていると説明していた。
ヒューマノイドが私たちと好意的な関係を保つためには、ある時点で人間らしさの追求を放棄し、動物など違う生物に類似させるなど、人間の複製を第一目的としないことが大切だ。
私たちが完全に感情移入してしまわないように、余白を残しておかなければロボットとの共存は難しいのかもしれない。

どんなロボットと一緒に暮らしていきたいか?
作品を通して不気味の谷の概念に納得した後、「どんなロボットと一緒に暮らしていきたいか?」を問う展示室で展覧会は締めくくられる。
もうすでに現実となりつつあるように、遅かれ早かれロボットと共存する社会がやってくるだろう。
1999年発売のペット型ロボットのAIBOは、生産中止、アフターサービス終了となったいまでも、家族の一員として愛情を注ぎ、壊れたら修理に出す人が後を絶たないという。
ラブドールと結婚するのか?
しゃべるぬいぐるみに悩みを聞いてもらうのか?
お掃除ロボットに家事を代わってもらうのか?
多くの鑑賞者の答えは、人間とはかけ離れた愛らしい外見のロボットとなら共存してもいい、というものではないだろうか。
やはり、人間そっくりのロボットは完璧であればあるほど、人間としての尊厳を脅かす恐ろしい存在になるのではないかと思う。

文化人類学や心理学、哲学の視点からアプローチしたこの展覧会は、展示作品それぞれがどういう意図でそこに置かれているのかがわからなければ、単なる「ロボットの進化展」という印象を受けるだろう。
だが、普通の美術展と違い、皆、作品の前で過ごす時間が長く、友人同士で語り合っている場面も多く見られた。
展示作品の「ペルソナ」を一つひとつ考え、各展示室の壁の解説を読んでキュレーターの狙いを汲み取ろうとしていたのだ。
ケ・ブランリー博物館の常設展で提示されているとおり、私たちの祖先はいつでもどこにいても、私たちを凌駕する神的な存在を求め、「人間」に近い外見でそれを表現してきた。
ロボットが人間と共存しつつある現在、私たちがつくり上げたロボットが、その知能においても外見においても、人間と同等あるいは凌駕する存在になることの是非を、この展覧会は問いかけている。
その切実な問題をじっくり考えるいい機会となる興味深い展覧会であった。
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